社長は男子高校生

株式会社飛脚堂の社長は男子高校生です。

今までのノート術なんて要らない!必殺落書きノート術!

必殺ノート術を考えました。何が必殺かというと、今までのノート術が必殺です。

このノート術の特徴

必殺落書きノート術!

必殺落書きノート術の特徴は

  • 面白い
  • 見返すと恥ずかしい
  • 落書きばっかり
  • 字が汚い

です。何だか良いことなさ気です。

ノートの書き方を気にしないノート術

今までのノート術を必殺してしまうノート術は、実はノートの取り方を気にしません。

ノートの取り方を気にしないとは?

ぼくはノートの取り方でいつも悩んでいました。悩みすぎて、悩むのが次第に面倒になってきました。 「もういっか」 そう言って、ぼくはノートの取り方を気にしないようになってしまいました。 巷はでノート術の本が溢れかえっていますが、取り方は自分の好きで良いじゃないか。自由でいいじゃないか。

  • 好きなように取る
  • 取りたいものを取る
  • 感じるままに取る
  • 書きたいように書く

というものです。

字は汚くても気にしない

字は汚くたって気にしません。ちょっとぐらい縦の線が曲がっていても気にしません。 字を一度直すと止まりません。1つ直すと今度はこっちが気になる。あぁまたこっちが気になる…エンドレスでいつまでたっても授業に集中できません。   直してしまうと完璧主義に陥ってしまいます。なのでぼくは、何が何でも直しません。あまり消しゴムは使わないようにしたり、そもそもボールペンを使うようにして、消せないようにしています。面倒なので、その場でぐちゃぐちゃっとしてしまいます。

字が汚いのは個性の表れ

「字が汚い」と自分で思っているのは損です。いっその事「個性」と捉えてしまいましょう。どうしてもぐちゃぐちゃになってしまうそれは、個性です、個性。   そうすれば、少しは気が楽になります。「自分の字が上手くないことを理解」すれば、別に少し曲がっていようと形が崩れていようと、気にしなくなります。そんなに上手い字は書けない、と割りきってしまえば簡単です。

落書きをしてしまおう

ぼくは落書きを描くことをおすすめします。積極的に描きにいきましょう。 例えば、国語の作者の顔を移してみるとか、先生が言った情景を落書きしてみるとか。先生が言った面白いセリフをメモしておくとかでも良いです。

記憶のとっかかりを作る

絵を描くことによって、「記憶のとっかかり」を作ることができます。「なんか引っかかるところ」「その授業を思い出す手がかり」です。 そういえば、そんな授業があったな、と思い出すために、落書きはとても大事なものです。落書きは思い出すきっかけになってくれます。  キレイに書いたノートは「記憶のとっかかり」がありません。見返しても、「こんなのやったっけ?」となってしまうことがありました。

眠気防止

先生の話を聞かないことよりも、寝ている方がたちが悪いです。黒板も見なければ話も聞かず、夢の世界です。 それよりか、絵を描いていたほうがまだマシではありませんか。ちょっとでも今の授業の話に関係のある絵だったならそれは必要です。重要です。 「この絵を描いて俺は勉強しているんだ!」と言っても良いぐらいです。流石に言い過ぎました。でも、寝るよりかは数倍マシです。

別に下手くそでもいい

上手い下手の問題ではなく、描くか描かないかの問題です。何か引っかかる絵や言葉を書けばOKです。下手くそでも、あとで思い返すことが出来ればいいんです。

ノートはキレイじゃなきゃダメという幻想

なんでキレイに取るか。それは「後で見返した時に分かりやすくするため」という理由が大きいでしょう。でも、後で見返すかなんて分かりません。 実際中学の頃、ぼくは一度もノート見返したことがありませんでした。今でも、定期テスト前に1回や2回見返して終わりです。   なので、ノートぐらい自由に取ってもいいじゃないですか。キレイに取ろうと頑張っていた中学生のノートは二度と日の目を浴びないまま灰になりました。なので、そんなに気にしたってムダなんだと思います。

参考書には敵わないんだから

いくらキレイにしたって、参考書には敵いません。整えられた文字、キレイな色使い。参考書を目指すなら、パソコンでやりましょう。 そうではなく、手を使うことを最大限活かし、落書きをすべきです。とっかかりを作るべきです。キレイよりもそっちを優先したほうが、後々楽しいですよ。   ◆   昔はノートの取り方にこだわっていましたが、気にしなくなると案外楽なものでした。こだわっていた頃は、必要以上に気を使って疲れていました。ノートはあくまでも自由に。 (というノート術でした)   (この記事は朝書きました)